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放置ブログでした

介護の学校を卒業して

施設に正社員として入社して

いろんなことを思う

皆から私は特養ではなくデイサービスが合っていると言われる

施設の方からも言われるが友達からも・・・・・

父親が詩吟が上手く

自宅に詩吟の神様とも言われた吉岡清風が泊まりにきたこともあった

私は父から詩吟を習った

でもイヤでたまらなかった

小学6年生で詩吟を辞め

今は施設で唄っている

父親に感謝なんだね



デイサービスに向いているかも知れないけど

私はある人と約束した特養で5年頑張りたい

今の施設ではないかもしれないけど

5年特養で絶対頑張る!!!!

ひとりごと

6月10日~7月2日まで施設実習に行った

とても勉強になり

介護とは何?

生きるって何?

死ぬって何?

支えるって何?

家族って何?といろんな事を考えた実習だった




この世に生まれて、幸せの度合いなんて人それぞれに違い

苦労していても幸せと思う人生を過ごされた方

お金には不自由しなくても不幸だと思う人生もあるのだと思う

価値観がそれぞれに違い

自分の価値観を人に押し付けることでもなく

人から押し付けられるものでもない

自分は自分なりに描いた道を歩く事

それが間違った道でも他者に迷惑をかけないように歩く事

生きている事(守られている事)の感謝の気持ちを持って生きること

人はいつ何があるかわからない

私も3年前に死んでいたのかも知れない

まだ生きる価値があるから生かしてもらえたのだと思う

幸せは人に幸せにしてもらうのではない

自分で幸せを探し

大切な人を幸せにすることで自分も幸せになっている自分に気付く

幸せと想えるように生きること

価値観はそれぞれ違うけど

これが私の生きている価値なのだと想う










事前実習

私は46歳で専門学校に通っている

きっかけはハローワークの職業訓練でヘルパー1級を受講しようとしていたところ

担当の方が「あなたのような考え方をした方は介護福祉士になってはどうですか」と言われ

試験を受けた

絶対落ちるんだろうと思いヘルパー1級の手続きに行こうとハローワークに行ったら

「合格しました」と

その時から6ヶ月

気が付いたら、とても楽しい日々

大変な毎日だけど充実している

いろいろなことに感謝

前職でキャディをしていた時は海外駐在員だった主人のお給料は

私が扶養に入っていた方が

キャディをしないで扶養に入っていた方がお金が入った

なのでキャディはただ働きの月日があった

けど仕事が好き

褒められて「あなたみたいな人がキャディでよかった」と言ってもらえて仕事を辞められなかった

大好きな仕事だった

けど手を抜きたい人の嫉みといじめは多々あったけど

仕事に対しての意欲とお客様に誠意を持って向き合えば

どのような方にでも心は伝わる事を一匹狼になっても変えなかった

今度は介護

人が好き

私は性格は悪いけど、大切にしたい人

弱い人には向き合いたい

強い人には牙をムクので嫌われる



私の悩みはクラスメイト

20歳でたかやんと同じ歳

口で説明するのは難しいけど、ピュアな女の子・・・ピュア過ぎます

4月の授業がはじまった頃から何故か目だっていた

授業も聞かずにお菓子を食べジュースを飲んで

でもそれが良いことか悪いことかもわからない

常識?がない事を言いたいの?って言葉にだしても一言で彼女を語れない不思議な子

過保護に育てられた?

のではなくて

厳しく育てられた反動?

父親があまりにも厳しいので母親が彼女の全部を受け止めた

なので彼女が恥をかかないようにと彼女のすべき事を20年間母親が行った

彼女が私に助けを求めたのが5月の頃

レクリエーションでみなの前で指導する役になった時に何も言えずにいた

その授業が終わった後に私の所に来て「どうしよう」と

私は個人的に話した事がなかったのにびっくりしたのはあるのだけど

「一緒に5階で練習する?」と声をかけたら万遍の笑み

それから彼女を私の学校生活がはじまった

心を閉ざしていて人の言う事を聞かない

自分が何も出来ないのに人の上げ足をとるので女子から仲間はずれにされていた子

でもピュアすぎて何でもお構いなしの発言

彼女は進級するのが難しいとかの噂

9月には学校を辞めるのでは?とかの噂

凄く焦っていた私もいました

どうにか常識だけは教えたい!

どうにかテストだけはクリアさせてあげたい

私は自分の事を心配しないといけないくらいなんだけど

彼女の事が何故か可愛い

一緒に卒業したい一身で焦りがあり彼女を叩いてしまった

彼女の為に夏休み施設ボランティアに行った(でも自分の勉強にもなる)

彼女の為に夏休み学校に行って実技の指導をした

指導をしたのは私だけではないけど

彼女が心配で学校に通った

学校に行きたがらない彼女を家まで迎えに行き誘い学校への日々

でも、どれもこれも自分の勉強になっている私がいる

実技の練習をしたらしただけ自分の実になる

実習目標も自分の仕上がりになる

彼女に感謝です


ただ笑えたのが

私が送ったメールの返信は全部・・・・彼女の母親が打っていたと聞いたのは8月後半

私の頭が真っ白になりました

3人でメールしていたんです

私が送ったメールを彼女母親に見せ、持ち物を持たせる準備

なぜそのような事をするのか先生に聞いたら

学校に入る前に「娘には外で恥をかかせたらいけないので全部私が出来るとこは全部しています」と

私には理解できない

可愛い子だったら、どこに出しても恥ずかしくない子にしようとするのが親ではないか?

私の娘と息子はどこに出しても恥ずかしくない子

娘は機転が効いて誰からも好かれる子

息子は気が小さいのは男の癖に!って思うとこあるけど、

2人共友達が多い

私は性格悪いけど子供達は苦労をして欲しくないから自立できるように育てた

価値観は人それぞれある

けど

どうにか彼女を自立の道に向かわせて下さいお母さん









私はおじいちゃんに育てられた

私はおじいちゃんに育てられた

父親と母親が別々の自営業をしていたので忙しく

いつもいつもおじいちゃんと一緒で15年間いつもおじいちゃんがいた

私の家にはおじいちゃんが二人居て

偉いおじいちゃんと偉くないおじいちゃんが二人いるのも不思議に思っていた

偉いおじいちゃんは食卓テーブルでみんなとご飯食べるけど

偉くないおじいちゃんは台所の横のテーブルでご飯を食べていた

何に対しても偉いおじいちゃんと偉くないおじいちゃんは区別されていて

いつも不思議に思っていた

小学生の頃

母に「なんで春じいちゃんは下で食べるん?」と聞いた

母が「あんたが生まれた時にお母さんは自分で仕事をしたくてあんたを見ながらは無理だからお母さんの実家の側で行き場がない人がいて知的障害がある人がいてね
あんたの面倒を見る約束でお給料を払い三食と寝る場所を用意し来てもらったん
あんたが小学4年になったら高知に帰って貰おうとおもったんじゃけんど
帰すと言っても兄弟のとこで邪魔者にされて炭小屋で顔を真っ黒にしていた春じいちゃんだから
食べる物ももらえないと思うし
あんたを育ててもらって有りがたかったし
死ぬまで面倒みるつもりなんよ」

聞いた時に普通に受け止めていたけど

歳を重ねるにつれて衝撃でした

春じいちゃんってほんとに春のようなおじいちゃんだった

私がどんなワガママ言っても笑っていて

私が兄に意地悪されたら春じいちゃんは

火がついたように狂ったように命がけみたいに守ってくれた

兄が『父さんに言ったら、お前は飯が食べられんぞ』と言われても一生懸命で

そういう事を言う兄の言葉を思い出しても

どれだけ春じいちゃんが区別されていたのかがわかる

知的障害のレベルは画家の山下清さんの様で

テレビを見る度に春じいちゃんを思い出して

恩返しが出来なかった事を後悔している

春じいちゃんの楽しみは10キロ歩いて年金を貰いに行った時に

帰りにお店に寄り私にお菓子を買うのが一番の幸せだったと母から聞いていた

私はお菓子を見て喜ぶ顔が好きだからと母が言っていた

母が春じいちゃんは家族から虐待されて食べる物がなく

炭焼き小屋で寝ていて『死ねばいいのに』と春じいちゃんの弟の奥さんに火をつけられた話しを聞き

母の実家の側なので

私が生まれた機会に春じいちゃんを迎えいれた

そのお給料は春じいちゃんの弟に渡したと聞いた

春じいちゃんは私が自分の家族なんだと思っていたのかな・・・・

母から私を頼まれて

まっすぐなおじいちゃんだから私を本当の子供みたいに思っていたんだよね

学校行く時は見えなくなる場所まで手を振ってて

帰りなんて寄り道して雨が振ってても傘もささずに待っててくれて

子供の時に“奴隷ゴッコ”なんてしていて

今考えたら酷い事ばかりしていた私

私が15歳の冬

朝おじいちゃんはいない

朝学校行くのにもいない

母が「寒いから寝かしてあげたいけど、おかしいね!あんたが学校行くのにも起きてこないのはおかしい、春じいちゃんの家に行って見て来て」と言われ

私「いやや・・・寒いもん」と学校に行った

馬鹿なわたし

悔やんでも悔やんでも悔やみきれない

学校に着いたら、すぐ「帰るように連絡が入った」

帰ったらおじいちゃんは冷たくなっていて

母が「春じいちゃんね、〇〇〇は起きたか?学校行ったか?と一生懸命言ってたよ」と

泣いて泣いて泣いた

15年ずっと傍にいてくれて私だけを守ってくれて

恩返しが出来ないまま

春じいちゃんは死んじゃった

「ごめんなさい」しか言えなくて

歳を重ねる事にありがたみを感じています

介護の事を昔から思っていたのは

春じいちゃんにできなかった事をしてあげたい気持ちがあり

違う形で恩返しが出来たら春じいちゃんに喜んでもらえそうな気がして

春じいちゃんは目が大きくてクッパさんに似ていて

私の勝手な思い込みだけど

春じいちゃんが私に逢いに来てくれたんだね・・・・って思っています

私の部屋におじいちゃんの仏壇があります

おじいちゃんは2個仏壇があって

私の実家と私の部屋

私の部屋には位牌はなく実家にあります

私は形だけで形見と写真を祀ってます

母が春じいちゃんの親戚に承諾を得てしています

春じいちゃんが亡くなった時にお葬式をして遺骨と位牌とお墓を建てた母

亡くなった次の歳のお盆に高知にお墓参りに行ったら

春じいちゃんの兄は位牌を石塔に袋に入れて括り付けていた

収入がなくなったら邪魔者?なの?

酷いことをして人間ではないと思った

お寺さんに相談して高知から愛媛まで骨を引き取り

家の近くにお墓を建てました

母に感謝です

私は位牌がないのに祀るのはいいのか?とか

いろいろ思ったけど気持ちの問題でおじいちゃんなら私がする事はなんでも許してくれます

これもワガママ

おじいちゃんにお花とお水とお酒とお線香

おじいゃんの写真の顔が毎日違う

私が嬉しい時は笑ってるし

辛い時は悲しそうな顔をしてる

私が夫婦喧嘩した時に小さかった娘と息子がお仏壇のとこで正座して「おじいちゃん助けて」って言ってた娘を思い出します

出来なかった恩返し

私が歳を取っておじいちゃんの傍に行った時

「頑張ったね」って頭を撫でてもらえるように頑張ろう

そして「ワガママばかり言っててごめんなさい」と







プロフィール

ワンころ助

Author:ワンころ助
わん助とクッパさん

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